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秋のたより

9月のはっぴーお便りは、みなさんに読んで欲しいと思いました、玄游会のブログより玄游誌をつくった趣旨を紹介いたしますという文章を載せました。

お稽古前に『9月のはっぴーお便りは、名誉会長のお言葉を書かせていただきました。何回読んでもいいですから、読んでください』と。

玄游会ブログより

2017.6 月号でめでたく 500 号を迎えることができました。

皆様に購読していただき、なんとか頑張ってまいりました。 

皆様のおかげです。

本当にありがとうございます。

創刊当時は印刷費の支払いもなかなか厳しい状態がつづいたと桂雪からも聞かされておりました。

43 年間で玄游も少しずつですが規模が大きくなってゆき今日に至っております。 

これからも内容のある誌面づくりに努めてまいります。

どうぞ、よろしくお願いいたします。 

さいごに桂雪が創刊した折に書いた玄游誌をつくった趣旨を紹介いたします。 


創刊にあたって思うことは・・・雑草のようなもの 矢田 桂雪

花展に観る花は華々しい。

室内の花は心休まる。

道端の草花にふと目をやるとき何となく微笑ましく、どうしようもない気持ちになる。

私はそういう雑草のような草花が好き。

・・・・・・土がほしい、水がほしい、なんでも懸命に自分の力で自分のものにするあの生命力、だれの力も借りず、この地球上に何の飾り気もなく永遠と生きている姿を無性に美しいと思う。

菊一輪の美しさもあるが、人間によって良質の土や水、そのうえ肥料まで与え風雨から守られながら生かされた花、そこにはもはや花自身の自由な生命力など無いようにさえ思われる。

人の世界でもそうだと思う。
生かされるのか、生きるのか。
私は後者を取りたい。

書道雑誌≪玄游≫は、このような考えから生まれたものです。

全国に書道雑誌は無数にあり、ほとんどは一流書家によって発行されている。

書道愛好家に一つの指針を与えてくれる。
一般的に考えれば、頼りになる雑誌である。

私はこれらの一流誌と肩を並べようなどと思い上がりのために≪玄游≫を発行するのでは決してない。

むしろ字を書くのではなく≪玄游≫を通して恥をかこうと決心している。

恥をかこうと決心すれば同志は、かなり大胆な活動ができるであろうし、その中からお互いに自分の力でなにかをつかもうとすることができる芸術に流行はないし、流行を追えば芸術でないと思う。

≪玄游≫は同志ひとりひとりが雑草のごとく地味でもよい、笑われてもよい、泥にまみれても、風雨に曝されてもよい。

とにかく一人で自分の道を歩く
ことを夢見て一歩でも前進しようとするものです。

幸いにしまして、金子鷗亭先生を特別顧問としてお迎えでき、その上題字のご揮毫を賜り玉作を掲載させていただきましたこと、誌上をもちまして衷心より厚くお礼申し上げます。

これからは玄游誌を一つの研究の場とし創玄書道会の一団体として、毎日展・創玄展を中心に作品発表をしていくことを祈念しているのであります。

なにとぞ、私の本意をご推察下さいまして倍旧のご愛顧とお引き立てを賜りますようお願い申し上げます。

そ、そ、そしたら、今日ラインがきました。

はっぴーお便りじっくり読みました。

昨日ですが…

創刊にあたって思うこと、玄游会の原点。
桂雪名誉会長の思い、書道を通して生きることを考え感じてほしい雑草のようにという言葉。

気持ちが強く熱くなりました。

仕事柄、生命の力を学び感じたり自分の使命て何なんだろうと日々自問自答したりしてますが、書道をはじめてから人間力が高まる場面があったり生きることに通づる精神鍛錬ができることに惹かれているのだなーと改めて振り返っていました。
このような思いや言葉を大切にしておられる、師となる名誉会長や会長、華園先生の元で書道に向きあえることこのような言葉が耳から目から入ってくる環境にいれること幸せだなと感じます。

玄游会に入会してよかった、書道をはじめてよかったと素直に思います。

はっぴーお便りを読んでの感想文みたいになっちゃいました笑
ご本人には、文章を載せる事はもち承諾してもらってます。

みんなで響きあって成長したいですね。

今日の仕入れた話

牛乳ポットに2匹の雨蛙が落ちた。

1匹は、もう無理だと思ってミルクポットの底に沈んだ。

もう1匹は、どうせ死ぬなら足掻いてと、足掻いて足掻いて…そうするとチーズになって脱出できたって話。

久々だけど、終わります。